高木椋太さん。

5月2日に先輩歌手の高木椋太さんがコロナウイルスによりお亡くなりになりました。

最初に聞いた時は全然実感が湧かなくて、ついこないだ会ったばかりなのに嘘でしょって。

でも時間が経つにつれて、椋太さんが本当にいなくなってしまったんだと思うと、もう悲しくて寂しくてどうしようもなくて涙が溢れます。

ずっと椋太さんのことを考えてます。

色んな方が椋太さんとの思い出をFacebookにあげていらして、その投稿にまた涙して。。

まだ動揺してるのに書くのはどうなのかと思ったのですが、これ以上一人で考えてるとおかしくなりそうなので、長くなってしまいましたが、ここに私の思い出もあげさせてください。

椋太さんとの出会いは、私が11年前に東京に出てきた時です。
私の地元神戸の先輩の村山奈緒美さんが椋太さんと仲良しで、私の事をお願いしてくれてたのが最初のきっかけです。
『奈緒美ちゃんからビビンちゃんのこと頼まれてるから何かあったらいつでも頼っておいでね』と声をかけてくれて、それから色んなところにも一緒に行かせてもらったり、本当にたくさんお世話になりました。
(ビビンと言うのは私の小さい頃の愛称で、風かおる先生や奈緒美さんや椋太さんは私の事をビビンちゃんと呼んでくれていました)

2009年から出演させていただいているパリ祭の地方公演もずっと一緒に回って、ペアを組ませていただく機会もたくさんありました。

思い起こせば2016年の瀬戸田公演のあと、地元の旅館の方にお願いして自転車を借りて、椋太さんと上村マキちゃんと夕陽を見に行きました。
3人で大はしゃぎして、最後は沈んでいく夕日を3人で静かに眺めました。

船の時間がギリギリになってしまい、大急ぎで戻る時に二人があまりに漕ぐのが早くて全然ついていけなかったなー。

そしてその翌日は名古屋への移動日だけで珍しく丸一日オフの日があって、せっかくだから観光に行こうと言う話になり、私の友達がいる岡山の湯の郷へ行き、その友達の案内でガラス工房でオリジナルのグラスを作ったり温泉に入ったり観光した思い出があります。

https://ryu-gyokuei.net/blog/10265

去年私がパリ祭をお休みした時も、また一緒にやろうね!ってパリ祭当日に写真送ってくれました。
今年の私の復活もすごく喜んでくれてまた一緒にパリ祭で歌えるの嬉しいよって。

そのほかにも2年前に歌仲間たちと一緒にイタリア旅行に行ったり、屋形船に乗ったり、いっぱいお食事して、書ききれないほど楽しかった思い出がたーーーくさんあります。
https://ryu-gyokuei.net/blog/15278
(イタリアブログです)

私の2月のバースデーライブも毎年必ず来てくれて、客席から掛け声で盛り上げてくれました。
旅行がお好きで色んな国の切手を買われていたそうで、メッセージ付きでその切手を入れた額縁をプレゼントしてくれました。
大切な宝物です。今年のバースデーライブの日はうちのワンコのための大きなおやつ詰め合わせをくれました。
私の犬にまで優しかったです。

動物大好きな椋太さん。

椋太さんの愛犬トイプードルのクッキーと珠木美甫さんの愛犬一休とうちのバロンと。またみんなで遊びたかったね。

蛙たちのライブでご一緒した時は、私が歌い出したら何も言わなくてもピエールさんと素敵なコーラスつけてくれて。
そして私が歌い終わって椋太さんをご紹介するのですが、椋太さんが自分の歌を歌う前に必ず私の実家の中華料理屋の宣伝をしてくれるのが恒例になって、
『僕も行った事があるんです!美味しいですよー!
イスラムのモスクの真ん前にある燕京です。
さぁ、みんなで声を出して言えば覚えられるから、皆さんご唱和下さい!せーの!エンキーン!』
って客席を盛り上げてくれて。

『高木宣伝部長!ありがとうございます!』
って、お決まりのコーナーになってたのに、、、。

もうそのやりとりもできないんだ。。
本当に寂しい。
これでもかってくらい泣きはらしてるのにまた涙が出てきた。

もう書きだすとキリがないです。

とにかく明るくて優しくて温かくて、周りの人を幸せにしてくれる椋太さん。
こんなに突然のお別れなんて辛すぎます。

いつかまた一緒に歌ったり大笑いしたいです。

椋太さんと一緒に撮った写真、
めちゃくちゃたくさんあります。

一つ一つの思い出、一生忘れません。

本当に今までありがとうございました。

椋太さん、大好きです!!

安らかにお眠り下さい。

合掌。