「パリん子あみ]番外編♪

あっという間に7月最終日!私にとってはパリ祭月間でした♪

タイトルは、仲良しの先輩でもあるあみさんが自身のブログでパリ祭出演者のインタビューをしてきた時のペンネームです♪なんとインタビュー総人数約60人!

改めて見ると、すごいですよね。
http://blog.livedoor.jp/amihappymoon/archives/4909856.html

私の事ももちろん書いてくれました!

毎回パリ祭に出演している先輩歌手の方のお話が聞けてとても面白かったので、ふとインタビュアーのあみさんがシャンソンに出会ったきっかけなども知りたくなり、勝手に「パリン子あみ番外編」、「パリン子りゅう」になってあみさんにちょこっと突撃インタビューしてみました(^O^)/

ということで、はじまりはじまり(^O^)/

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BGMは「時は過ぎてゆく」

あみさんとの初めての出会いは2006年、今から9年前の神戸パリ祭でした。
私が第22回、日本アマチュアシャンソンコンクールでグランプリを獲得して、副賞として神戸パリ祭に出演させていただいた時に、楽屋であみさんと席が隣同士になったんです。

今では考えられませんが、私が緊張して鏡に向かいながらじっと黙っていると、
優しく「頑張ってね♡」と話しかけてくれたのがあみさんでした。
その時のあみさんの笑顔は女神様のようでした。

それから月日は経ち、2009年に私がパリ祭に出演させてもらうようになった年、ちょうど「あみ組」最後の年でした。

いつも周りの事を一番に考えてくれて、頼りになるあみさん。

その年にあみ組の一員になれた事が、その後の私の人生においてかけがえのない宝物になっています。

公私ともに仲良くしてくれて、大好きな先輩であり、親友でもあるあみさんの魅力やパリ祭への思いを「パリん子りゅう」になって少し聞いてみたいと思います。

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以下、☆印は「パリん子りゅう」

☆あみさん、パリ祭&「パリん子あみ」お疲れ様でした~~~!

あみさん「お疲れ様でした!」

☆早速ですが、あみさんは子供の頃から器用になんでもできたんですか?

あみさん「ううん、何もできないからせめて音楽だけでもって、ふふ。

近所のお姉さんが国立音大出身で話を聞きに行ったらその気になって、中2の終わりに音楽の道に進もうと目覚めたかな。

それで木原光知子さんも同じ学校出身なんだけど、山陽女子高等学校に音楽科コースがあって、そこに入ったの。父がいつも、おまえは才能がないから努力するしかないんだよって。」

☆(そっかー、確かに私から見ても、本当にあみさんは努力家!!!爪の垢煎じて飲ませていただきたいです。)このパリん子あみに関しても昔から努力家だから、こんなに頑張れるんですね~~

☆「えっと~、やっぱりこれから聞かなきゃですね♫あみさんがシャンソンと出会ったきっかけはなんですか??」
あみさん「うふふふ~~」

なぜか笑うあみさん。
きっと今までインタビューする側だったから変な感じなのかも(⌒-⌒; )
☆「そういえばなんでシャンソン歌うようになったのか聞いたことなかったかも」

あみさん「国立音大を出て、歌のアルバイトでドイツレストラン「パウケ」で歌うようになったんだけど、歌い始めてしばらくして、1年くらいかな、お客様から面白いお店があるから行ってみませんかと誘われていったのが、吉祥寺のシャンソニエ『RED』だったの。」

☆「へ~~~!そうなんですね!」

あみさん「で、REDのママから一曲歌ってって言われて、リリー・マルレーンを歌ったの。そしたら来月からゲストで歌いに来てって言われて。それがきっかけで。」

☆シャンソンを初めて聞いた時どう思いましたか?

あみさん「原洋子さんが歌ってた日本語歌詞の<桜んぼの実る頃>を聞いた時、涙が止まらなかったの。 世界にはこんな素敵な歌がたくさんあるんだと思って。本当に何も知らなかったから。しってたのは<愛の讃歌>くらいかな。

で、REDで歌う事になったから色々覚えたんだけど、初めて覚えた曲は<桜んぼの実る頃>だったの。 色んな歌を歌えるのがすごく楽しかった~。」

☆「なるほどー。初めてパリ祭に出た時ってどんな気持ちでしたか? 緊張とかした?」

あみさん「大学3年の12月に、N響との共演で 「第九」に参加したの。 国立音大の声楽科は、毎年「第九」に出演してるのね。その時の、舞台の上でライトを浴びて歌った 感動がずっと忘れられなかったの。 「いつか、もう一度、この舞台に立ちたい!」と思ったことを、今でもよく覚えてる。

だから、願いが叶ったことを どうしようもなく嬉しく感じたけど、 緊張して、初日は NHKホールに、完全にのみ込まれた、と。

☆わーそうだったんですね!
あみさんが、これまで音楽を頑張ってこれたのは、何が背中を押してくれたんだと思いますか?

あみさん「歌が好き…。好きな気持ちだけで、ここまできた感じ。 ほら、才能ないから^_−」

☆いえいえ、努力できることも才能のうちです!!ちなみに、あみ組はどうだったですか?まとめるの大変でしたか?

あみさん「名ばかりの「組長」 ^-^
山本理恵子ちゃんが、陰の組長 ♪

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ソロになったときは嬉しかったですか?

あみさん「ソロになった経緯は、いろいろあって…。最初はソロじゃなかったの。

「あみ組」で、稽古がスタートした矢先、先輩がご病気で出演できなくなったの。

それで、ソロ出演が決まった。でも、その先輩は、私のことをとても目にかけてくださっていた方だったので、とても複雑な心境だったのね。

先輩のご病気が心配だし、本当は、その方がお歌いになる予定だったわけだし…。ソロが決まってから、すぐに先輩にご報告したの。

そうしたらね…「おめでとう!貴女の実力です。私が病気になったからではありません。貴女は、何も気にせず、自分の信じるままに進みなさい!本当におめでとう!」というお返事が返ってきたの。

岡山の母に電話で伝えて、二人で泣きました。
その後、先輩が少しお元気になられた…ということで、何と同じ日に一緒に出演することができたの。その時は、本当に嬉しかった。その先輩は、故・朝倉まみさんです。この年は、「あみ組」組長とソロと、両方あったので、大忙しの舞台だったような記憶が…。

その時、支えてくれたメンバーには頭が上がりません。

☆あ。その時のメンバーだ、私も(笑)
きっとまみさんも、今頃天国であみさんの活躍振りを応援してくれてますね♫

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☆ ところで、岡山パリ祭は地元ですもんね、岡山は本当に町ぐるみでパリ祭を盛り上げてくれてますね♪

上之町パリ祭で特設ステージがあったり!

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あみさん「これは、本当に尊いことだと思ってます。ミミ(木原光知子)さんの夢を岡山の皆さんと一緒に追いかけられる…って、幸せなことだよね。
来年の岡山『パリ祭』は7/17石井好子先生のご命日でもあります。
今から気持ちを引き締めて、
岡山『パリ祭』に向けて何ができるか…自分をどう研いていくのか…考えていこうと思っています。
なんでこんなに、私は『パリ祭』が好きなのかなぁ…と、今回、皆さんにインタビューをさせていただいている時に、ふと思ったの。で、わかったことがひとつ!
「人」なんだなぁ…って。

『パリ祭』に携わっている人たちが、大好きだからなんだなぁ…って。

やっぱり、私には「ウン」が付いてる♡
こんなに素敵な方に出会えてるんだもの♫

 

☆さすが1歳の頃に糞ダメに落ちただけあって、ウンはいい訳だ!詳しい事はぜひ本人からぜひ聞いてみてください(笑)

あみさんが初めて岡山パリ祭に出演した時、
あみさんのおじいちゃまとおばあちゃまが、シンフォニーホールのすべてのお客様が帰りになるまで、ずっとお辞儀していらしたそうです。素敵なご家族だー !

今回のインタビューで改めて思ったのは、あみさんの「パリ祭愛」が半端ない事。

誰に頼まれたわけでもなく、ただパリ祭のことをもっと多くの方に知ってもらいたいという思いだけで始めたパリン子あみ。

きっとたくさんの方がパリン子を読んで楽しんでたと思います。

本当にお疲れさまでした^O^/

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あみさんの最新CD《ami amour4♫》

あみさんの柔らかい歌声と、中でもポップなアレンジが私は大好きです!
シャンソンファンのみならず、ぜひたくさんの方に聴いてもらいたい一枚です!
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